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COMPANYKISHII’S COLUMN

KISHII’s COLUMN岸井コラム

お金に縛られない

世間一般の金額の付け方が正しいとは限らない。
大事にしてきたものを、
同じように大切にしてくれるなら、
差し上げてもいい。

ただ単に、転売目的の人には
金額を釣り上げられても、売りたくない。
ずっと土地に関わってきた人にとっては、
売って荒らされるくらいなら売らずにいたい。

千葉県大多喜の8,000坪の物件は
格安の価格で譲ってもらえそうです。
カーブドッチのようなコミュニティが一歩近づいてきた。
近藤さんご夫婦とお会いできたことは、ご縁の賜物。
まさにプライスレスです。

手をかけて、お金をかけてきた土地と建物だけに、
思い入れが詰まっています。
大事にしてきた車や家具などのコレクションと
似たような感覚なのでしょう。

一方では、古いガソリン車に希少価値が出てきて
とんでもない金額がついていたりする。
これはバブルに近い。

人があまり価値を感じてなかったものが、
時代の変化とともに、大きな価値に変化することがあります。
だから、相場は当てにならない。

相場とは相対比較ではかられるもの 。
土地の価値は広さだけでははかれるものでもない。
傾斜地とか陽当たりとかが一般のモノサシにはなるけれど、
どんな木は生えてるとか 、
どんな川が流れていて、その川との距離であったり、
蛍が出るとか、カエルがいるとか、カブトムシがいるとかは
相対評価の物差しにならない。
駅からの距離は、物差しにするけど
海や湖からの距離や、景色の見え方という物差しはあまり使われない。
相対評価だけを物差しにしてしまうと、価値がわからなくなる。

そこにしかないもの、いましかないものは絶対価値。
時計は買えても、時間は買えない。
人の労働は買えても、人の親切や協力は買えない。
利便性や合理性や経済性とは、別の価値がそこにある。
比較対象のしようがないものは、金額に反映しずらいのだ。
比較評価は、他人の価値基準を物差しにする。

砂漠で金の延べ棒を拾ったとしても、重たいだけ。
お腹が空いているときは、100グラム5,000円のステーキよりも
コンビニの120円のおにぎりの方がありがたい。

やりたいことが決まっていると、道具はものすごく価値があるけれど、
やりたいことが決まってないと、道具は不要で有り難くもない。
お金は相対価値をはかる道具でしかない。

お金を絶対基準にする感覚は、価値の本質を見えなくする。

やりたいことが決まってないと、やりたくない事に縛られる。
やりたいことが決まっていれば、お金に縛られない 。
やりたいことが決まっていれば、人に縛られない 。

お金は便利な道具だけれども、絶対価値をはかれるものではない。