COMPANY

COMPANYKISHII’S COLUMN

KISHII’s COLUMN岸井コラム

「癒し」からの転換

スパの事業は、かれこれ始めて18年になります。

2004年、見花山VIS店の出店で
トータルビューティサロンへの展開で、
スパルームを作って、セラピストを採用したことから始まりました。
当初はネイルもそうですが、
美容師と融合がしづらく売上も伸びすに苦労しました。
分かったことは、トータルビューティサロンで
その職種がセラピストもネイリストもたった1人しかいないということは、
教える人も教わる人も居ないから
結局は、自己流から抜け出せない。
それぞれが職人さんですから。

皆、自分の今までの技術、知識、視点にとらわれ、
更新がしづらいということです。
一人だと尚更ですよね。
事業として取り組む場合には、枠組みや建て付け、
サービスのコンセプトから組み立てます。
2005年にセンター北90坪をオープンした時は、
50坪をスパスペース、30坪をヘア、残りをネイルにしました。
店舗に複数のセラピスト、ネイリスト、ゲストサービスがいる状態にするために、
サロンを大型化したのです。
しかし、売上のほとんどは、30坪のヘアで売上げ、
50坪のスパには5000万くらい。
内装設備にお金をかけ、セラピストは少なく
マネージャーには当時現役店長で美容師の宮平さんにハサミを置いてもらい、
スパマネージャーに専念してもらいました。

当時はエステとスパとの違いを、スパは「癒し」と捉えていました。
「オリーブスパ」も出始めの時で、あちらは男性客が8割です。
オリーブスパは現在、25店舗、400人。
M.SLASHはヘアサロンからトータルビューティサロンへの展開でした。

2006年、スパの売上がなかなか伸びなかった頃、
スパサービスのコンセプトの転換を図りました。
それは、「癒し」から、「先生」への転換です。
当時、足浴が、施術の流れの一環にあり、それをやめることにしました。
「癒し」では大型温浴施設のサービスとは戦えない。
セラピストの立場が「先生」になることで、
美容へ振った問題解決に役立とう、ということにしたのです。

それからは、本牧店、世田谷店、自由が丘店、ベイサイド店、FIEL店 SOL店と、
試行錯誤を繰り返し、スパ事業を展開してきました。
みんなの努力と工夫によって、
前期は1億4千万円までスパ事業を伸ばすことができました 。
今後、2026年には7億円のスパ事業の成長を企んでいます。
それは、これまでの延長ではなく、新たな成長軌道です。

事業は、時代変化に合わせ、未来にも照準を合わせつつ、
事業コンセプトから変えていななくては、生き残れませんし、
さまざまな更新こそが成長を可能にします。
その意味で事業が伸びるか、衰退するかのポイントは
マーケティングに大きな比重がかかると思っています。

セラピストがマーケティングスキルを持てれば、それに越したことはないのですが、
目の前のお客さまに自分の技術で喜んでもらう仕事と、
自社のサービスを知らない人に知ってもらう仕事。
事業の枠組み、仕組みを作り、売上を作る仕事は、
まったく違います。

マーケティングと職人のバランス、
役割、責任、能力、報酬、配置から組み立てて、
2026年、スパ事業を7億円に成長させていきます。