「ありのまま」が、どうしてウエルビーイングなのでしょう?
以前、衣山さん(株式会社エボの取締役)にこんな質問をしたことがあります。
「車に乗っててクラクション鳴らしたことないでしょ」
「ないですね」
「頭にきたこともないでしょ」
「ないですね」
車を運転すれば似たようなシチュエーションに遭遇するけれど、
頭にきて煽り運転する人、イライラする人もいれば、
思いやる態度の人もいる。
同じ現象に遭遇しても、わたしの都合がイライラする現象にさせている。
現象を「ありのまま」ではなく、自分自身の都合が優先して現象の背景が見えない。
前後が見えない。
その現象だけを捉えるからこころ穏やかにいられない。
背景が分かったり、前後左右がわかると
「あぁ、そういうことね」という気持ちになる。
それは、まるで天動説と地動説の違いのよう。
「ありのまま」は、天動説で見ている自分に気づいて、
自分も全体の一部であるという地動説のとらえ方。
ウエルビーイングとは、身体的・精神的・社会的に健康であること。
つまりは「幸福」であることなのだから、外的な要因に振り回されず、
自身が幸福でいるためにありのままに受け止める態度のこと。
表層で見ているから全体が見えない。
視野が狭いから、つながりが見えない。
局部的に見ているから、構造が見えない。
ありのままに見るって意外にムズカシイ。
ありのままを見るには、想像力がいる。
ありのままを見れば、つながりがわかる。
ありのままを見れば、豊かさがわかる。
ありのままを見れば、ありがたさがわかる。