子どもは、飛んだり跳ねたり、じゃれあったり、寝そべったり、
とにかく遊ぶ。
意味や目的なんか考えない。
ただ、それが楽しいからだけの理由で遊びに夢中になる。
大人は、遊ばないかといえば、楽しい対象が変わって行くだけで、
おしゃべりもしたり、映画を見るし、山に登ったりもする。
スポーツのように少しづつ上手くなるのを楽しむのも、
どんな仕事にもある遊びの要素だし、
分かってくることの面白さ、コツを発見する楽しさがある
だけど、ルールを覚えなきゃならない。
基礎体力をつけなきゃならない。
チームプレイを学んだりと、いろいろと面倒臭いことも増えるけど、
たぶん、これは大人になるにつれ、単純なことじゃ飽き足らない。
簡単ではつまらなくなる、そんなことから、
遊びのステージを変えていってるのではないかと妄想している。
ゲームもハマるとどんどんステージを上げてみたくなる。
より強い敵が現れたり、難しい課題にチャレンジすることも
楽しく遊びを続ける要素だ。
一方では、面倒くさがり、億劫がり、楽しむか、ラクをするかで
迷うのも人間。
でも、競い合う誰か仲間がいたり、負けて悔しい思いであったり、
共に何かを共有する喜びがあったりするすることで、
心にドライブがかかる。
新しい出会いを楽しんだり、
不安定と不確定は狙い通り行くかどうか楽しむ要素だし、
間違うことも含め迷い、煩悶、もがきも、
宇宙140億年から見れば、
鼻で笑う程度のことなんでしょうからね。