創業の頃は店を開店したからって、すぐに売上が立つわけではなく借りたお金から、社員の給料を払って残るお金が底をつかないうちに、なんとかしなければアウト。そんなギリギリの状況でも給料の保証がある社員にとってみれば、借入の返済はじぶんごとではなく残るお金から報酬をとる経営者と能力と時間を会社に売って、給料をとる社員とでは明からな温度差を感じながら。時に、経営者とは割に合わない職業なんじゃないかと思うこともあり、それでも、事業発展の夢を追うには、こっち側に来てくれる人をなんとしても作らなければ、将来はない。どんなことをしてでも、経営は協力者が必要で、お金よりまず信頼を積まなきゃならない。悪い時ばかりでもなければ、良い時ばかりでもない。リスクと責任、成長の楽しみを共に味わってくれる協力者の存在がいなければ、砂上の楼閣でしかない。協力者と思っていた人が、サッと居なくなったり思わぬところで、心強い人が現れたり結局は、みんな信頼できる何か、期待できる何かを求めている。経営者はそれを作ることが、役割なのだと割り切る。それを作るために、意思決定し、判断し、組み立てる。お金、人、物、情報、時間、自分、それぞれ材料をどれだけ上手く活かせるかの勝負の分かれ目。狭き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていくものが多い。命に至る道は細い。そして、それを見出すものは少ない。マタイによる福音書 第7章人が群がるところに行くというのは、コモディティへの道。部品化の道を歩むということだ。人がすでに歩いた道を行くのだから当然、先行者利益などない。その人の価値は、「何者であるか」ではなく「どの組織に属しているか」でほとんど判断されることになる。少なくとも他人の判断に流されるのを避け、自分の目で見て、肌で感じた判断を信じ、逆を張るべきだ。独自性、つまり同列の競争での優秀さではなく質的な違いこそが、価値になる時代において交換可能な部品になると、ほんとうに厳しい道を歩むことになる。