COMPANY

COMPANYKISHII’S COLUMN

KISHII’s COLUMN岸井コラム

死について

死について遅かれ早かれ、死に向かっていることは分かっていても現実感を持ってそれを考えることはあまりない。あと、どのくらい寿命、何年あるのか、何十年なのか。寿命を迎えるより先に、怪我や災害で死亡することだってある。生まれた瞬間が、自分の意志ではないように死ぬ瞬間もまた、もう、お前の今世の役割は終わったよと迎えに来るのだろう。だから、自分の意志で、どうにかなるものでもない。ただ、命を与えられているうちが花。どうせ、短い時間なのだから、咲く時に咲いたら桜のように潔く散れたらいい。もしも余命何年と、宣告されたとしたら急に不安になるのだろうか?死を現実感を持って受け入れなければならないというのは残酷なことなんだろうか?死を無いもののように忘れていられる方が安心で幸せなのだろうか。砂時計のように、あとどの位、生きる時間があるのか分かった方が、残った時間を、出来るだけ上手く使うか、真剣になるのではないだろうか。蕾のまま、散るよりは、咲く時に咲いて散るまでの、限られた時間なのだし、どんな花になるのか、咲かせられるのか。残された時間が、一年だとしたらどうするだろう。遅かれ、早かれの問題。死を考えるということはどう生きるかを考えること。死に様をイメージすることで生き様を考えるキッカケにはなる。だから、散るまでの時間、ちゃっちゃと咲かせないと。