人間は、どこに生まれ、どこで命を終えるのか。
自分の意志では決められない。
病気、障害、性格、男女、背の高さ、得意不得意も
自分の意志とは、無関係だ。
であるなら、何故このような違いがあるのか。
宇宙、地球、自然界にある法則性、
秩序は必要、必然となるべくして、
成立していることを考えると、
ひとり一人の違いも、人間に生まれた意味も
大いなる意志にもとづいているように思える。
動物も、植物もそれぞれの個体種は、
それぞれの食物連鎖や大きな循環のひとつとして、
役割を担って自然環境が成立している。
人間だけが別格で自由にコントロールして良いと思うのは
思い上がっている?
動植物も、人間も、それぞれの個体は、役割を認識することはないし
大いなる意志が、働いているのかどうかさえわからない。
しかし、わずか2000年の人間の歴史を見ても、
マクロで見れば、社会は成長発展の軌跡を辿っている。
それも、大いなる意志の働きではないか。
とすると、人間の役割とは何か、自分の役割とは何か。
この時代に生まれた意味は何か。
自分の特徴をどう活かすことが良いのか。
この親の元に生まれた意味は、この職業に就いた意味は、
今の立場、今の責任、今の役割は、
自分の選択と思っているけれども、
大いなる意志の働きの中で、試されているだけなのではないか。
大いなる意志は、天の理、自然の摂理。
そうした意志に沿うことが、ほんとうの他力本願。
大いなる意思に沿うことが、風を背に受るがごとく。
大いなる意志に逆らうことは、川の流れに逆うがごとく。
大いなる意志を汲み取ることを、求められているのではないだろうか。