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KISHII’s COLUMN岸井コラム

入社式で

入社式では、新卒のみんながそれぞれ自己紹介をしてくれました

25人のうち、ひとりは南米ペルーの方
もうひとりは中東トルコとのハーフ どちらも明るく開放的
表現が豊かで、印象に残るタイプでした

日本人はどちらかというと人見知り、でも負けず嫌いという人が多く
感情表現は苦手、目立ちたくはないけど、注目されるとうれしいみたいな
まさに自分もその中のひとりなわけで
ちょっと複雑だ

でも一皮むけば、国は違えどみんな一緒、同じホモサピエンス
「違い」見出すことは、その人らしさを感じとれたり
自分らしさを表現するのに役立つ

「違い」があるから面白い、違いがいろんなドラマを生む
「違い」は学びになる
「違い」は一括りにしない、別々に見て、理解するのに役立つ
分かったとか、なるほどとか思うのは、違いを発見するからだ

でも、その違いが「分断」を生み、「分離」や「孤立」も生むのも事実
「違い」が差別になったり、行き過ぎると対立や争いになったりもする
「違い」敏感なのは男性脳なのかもしれない

立場や年齢で考えたり、階層や上下でものを見たりする
左脳的というか
どんど分けて考える、科学も医療も、物理や数学も分析によって発達した
けれど、良い面と悪い面が背中合わせだ

「同じ」を見出すことは、繋がりができて「私たち」になれる
「同じ」は安心、 「同じ」は仲間、 
「同じ」は共通項を見出して一括りにする 支えあったりするのも
家族だからとか、友達だからこそという感覚

私たちの共通項があるから支えあったり助けあったりもできる
でも、「同じ」に慣れてしまい、当たり前に変わり、依存にも変わる
展開が乏しくなって、変わりばえしないなんてことにもなる
いつもと「同じ」に安心して、進化や変化に尻込みする

仲間意識も行き過ぎると閉鎖的になったりもする
「同じ」の感覚が強いのは女性的なのかもしれない 守りの性質
というか、包み込むような、優しさや愛情を感じる

たぶん人が幸福に生きていくうえで、「同じ」の感覚が土台で
「違い」はその上に乗っかっている、表面的な部分
家でも土台は大事で、でも見た目も大事だよと
ちゃんと「同じ」と「違い」の感覚を行ったり来たりできるようになりなさいよ
ということなんでしょう