経営者コラム

11

4月
2021

ファミリー

On 11, 4月 2021 | In 経営者コラム | By M.SLASH

たまに、組織のことを「ファミリー」という表現する人がいます。
「ファミリー」という言葉には、良いイメージとそうでないイメージが混ざってまよね。

映画「ゴッドファーザー」の中では自分の属する組織を「ファミリー」と言ってます。

日本でいうと「◯◯一家」というようなイメージ。 
良い面では「繋がり」「絆」「暖かさ」。
悪い面では「しがらみ」「上下関係」「掟」を連想させる。
家長がドンと居座って、たとえ白くても「黒」と言われれば「黒」みたいな。

でも、ドラッカーは、組織は「道具」だと言っている。
社会が機能するための「組織」は道具という意味と、
個人にとって、自己実現するための「道具」であるとという意味です。

「組織」は道具として使われるべきもので、
人が「組織」に使われるものではないとも言っています。

人が道具として「車」を使うように、「車」に使われたり、縛られたりするものではない。
「お金」は道具として人が使うべきもので「お金」に人が使われるものではないように。

会社は「プロジェクト」として立ち上がり、その役目が終われば解散するもの。

「ファミリー」が陥りがちなのは、組織自体の維持存続が目的になってしまうこと。

社会における意義や個人にとっての意義よりも、
徳川幕府のように組織内の安定と秩序維持に傾いていく。
だから、すべての組織は時代に合わずに消滅する。
それが必然。

変化こそが時代の常態であるとすれば、
その組織が、新しい時代を先導するか、
新しい価値を生み出すものであってこそ、道具としての組織が社会に必要とされる。

会社は「プロジェクト」のように、この指止まれに集まったもの同士。
「いち抜けた」は自由。

ファミリー的な面はあっても家族ではない、言わばチーム。

新しい何かをつくりだすプロジェクトが無くなったり、
組織の存在意義が薄くなれば、解散は必然。
趣味や好みも流行り廃りがあるように、様々なコミュニティが集散を繰り返す。

どんなコミュニティに人は価値を感じるのか。
時代の流れを感じつつ、人に社会に有意義なチームであり続けられるかが問われる。